なぜ日本は鎖国できたか?
ウィキペディアによると、
1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、
1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を
「鎖国」と呼ぶらしい。
ところで、日本がなぜ鎖国をすることが可能であったかといえば、
当時の日本は世界第1級の軍事力を持っていたからだという。
当時の日本は『武装中立』という状態で
他国の侵略を許さない軍事力を持っていた。
55年体制と呼ばれた時代、当時の社会党は
『非武装中立』ということをしきりに主張していたが、
これは国際社会では通用しない。
非武装の国はあっという間に侵略されてしまうからで、
これは中国に蹂躙されているチベットの例を見ても明らかだ。
つまり、中立というのは、どこかの国と同盟を結ぶより
はるかに困難な状態といえるだろう。
たとえば、いま日本が中立国になろうとすれば、
アメリカと安全保障条約を結んでいる現在より
数倍もの多くの軍事費を必要とする。
どちらがいいかは別として、鎖国時代の日本は
それほどの軍事力を保有していたということだ。
しかしながら、2百数十年の間に、世界は様変わりし、
ペリーが浦賀に来航したときには、日本は鎖国をしていられる
状態ではなくなっていたのである。
そして、日本は富国強兵に励み、大東亜戦争で一敗地にまみれるまで、
世界の強国であり続けた。
さて、話は大きく変わるけれど、
今世界は貧富の差が広がり、失業者が溢れつつある。
とりわけ、お隣の中国や韓国は経済崩壊が現実のものとして語られ、
東アジア地域はますます不安定になってきている。
こうした時代だからこそ、決して侵略されないだけの軍事力が
不可欠なのだと思います。
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