今日、11時30分から、フジテレビで「凱旋門賞」が中継される。
フランス「凱旋門賞」が世界最高のレースと言えるかどうかは
議論のあるところのようだが、「凱旋門賞」を制することが
日本競馬界の悲願であることは間違いない。
「凱旋門賞」を制することは、日本の男子サッカーが
ワールドカップのチャンピオンになることに匹敵する
というと言い過ぎだろうか?
日本の競走馬が初めて凱旋門賞に挑戦したのは1969年。
天皇賞(春)、宝塚記念、有馬記念(2回)に優勝した
スピードシンボリ(牡6)であったが着外に敗れている。
1972年には天皇賞馬メジロムサシ(牡5)が出走したが
これも着外に敗れている。
あまりの実力差と、調教も満足にさせてもらえない劣悪なレース環境
により、それから当分の間、凱旋門賞への挑戦はなくなるが、
1981年には日本で国際招待レース第1回ジャパンカップが開催される。
米国・カナダ・インドから7頭の海外挑戦馬を迎えて
レースは行なわれたが、米国のメアジードーツがレコードタイムで1着。
日本馬はゴールドスペンサーが5着で最先着。
2番人気のモンテプリンスは7着に終わった。
地元の馬が有利といわれる競馬の世界で、
圧倒的な実力差を見せつけられ、
日本馬がジャパンカップで勝つことなど、
この先無いのではないかとさえ思われた。
第2回も米国のハーフアイストが1着。
日本馬はヒカリヂュールが5着に入るのがやっとだった。
ところが第3回では優勝はアイルランドのスタネーラだったが、
日本のキョウエイプロミスが2着に粘る。
そして第3回・4回は日本のカツラギエース、シンボリルドルフが2連勝。
当時日本最強馬といわれたシンボリルドルフは海外に遠征するが
米国サンタアニタ競馬場のG1レースで6着に敗れ、レース中の故障により
そのまま引退してしまう。
この頃は、まだまだ日本馬が凱旋門賞で優勝するなどということは
夢のまた夢という時代だ。
ところが日本の調教技術の進化、そして米国の種牡馬サンデーサイレンスを
輸入したことで日本の競馬状況は一変する。
1998年から3年連続、2006年から昨年2013年までの8年連続
ジャパンカップでは日本馬が優勝し、海外でのG1レースでも
日本馬が勝つケースが増え、日本の競馬レベルは欧米に匹敵する
ところまで向上したのである。
1999年の凱旋門賞にはエルコンドルパサー(牡4)が挑戦。
エルコンドルパサー自体はサンデー産駒でも日本産馬でもなく
外国産馬ではあったが日本で調教された馬であることは間違いない。
エルコンドルパサーは、前哨戦のサンクルー大賞、フォア賞を連勝し、
凱旋門賞でも一度先頭に立ったもののゴール手前でモンジュー(牡3)
に交わされ2着に終わる。
そして2002年のマンハッタンカフェ(牡4)は13着、
2004年のタップダンスシチー(牡7)は17着、
2006年のディープインパクト(牡4)は3着に入選するも禁止薬物により失格、
2008年のメイショウサムソン(牡5)は10着と不振が続くが、
2010年のナカヤマフェスタ(牡4)は再び2着に入線。
翌2011年にも挑戦したが11着に終わり、
同じく参戦したヒルノダムール(牡4)は10着だった。
2010年にはヴィクトワールピサ(牡3)も出走し7位に終わったが、
翌2011年のドバイワールドカップでは日本馬で初めて優勝した。
そしてそして、2012年にはオルフェーブル(牡4)が挑戦。
後方2番手からレースをすすめ、最後の直線では大外から馬なりで
全馬をごぼう抜きしたが、勝ったと思った瞬間内側に大きくよれ、
内ラチに激突し、ゴール寸前でソレミアに交わされた。
これが日本馬が凱旋門賞優勝に最も近づいた瞬間だった。
昨年もオルフェはキズナ(牡3)と共に参戦したが、
仏3歳牝馬トレヴィが脅威の末脚を繰り出し、
オルフェは2着、キズナは4着に終わった。
そして、今年は3歳牝馬のハープスター、
古馬のジャスタウェイ(牡5)、ゴールドシップ(牡5)の3頭が挑戦する。
これまで日本馬が勝てなかった理由のひとつに、
3歳馬の有利なハンデがある。
古馬が59.5kgを背負うのに対し、3歳牡馬は56kg、3歳牝馬は54.5kg
と3歳馬、特に3最牝馬が圧倒的に有利なのだ。
今年は3最牝馬の怪物ハープスターが参戦。
さらにジャスタウェイは現在世界ランク1位である。
さて、日本競馬界の夢は、今年達成されるだろうか?