被爆者手帳求め裁判
長崎原爆の投下時に爆心地から12キロ圏内にいたのに
被爆者として認められていない「被爆体験者」が長崎県と長崎市を相手取り、
被爆者健康手帳の交付などを求めた訴訟で、
長崎地裁(松葉佐〈まつばさ〉隆之裁判長)は22日、
原告161人のうち10人について請求を認める判決を言い渡した。
他の原告については請求を退けた。
(朝日新聞デジタル 2月22日(月)14時34分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160222-00000032-asahi-soci
戦後70年を過ぎて、いまだに被爆者援護法の対象になろうと
裁判を起こしている人がいるのは驚きだ。
彼らのメンタリティは、従軍慰安婦として謝罪と賠償を求めつづける
韓国の老婆たちと非常に近いのではないか?
戦後70年を過ぎているのだから、被爆時に生まれたばかりでも70歳以上、
10歳で80歳、成人なら90歳になる。
これほど高齢になれば、放射能を浴びていようがいまいが、
身体に何らかの変調が訪れるだろう。
いや、ここまで長生きできただけでも、放射能の影響が
いかに少なかったかを物語っているのではないか?
肥大化した権利意識が人を狂わせるのだろうが、
裁判所ですら10人を除く151人に請求棄却を言い渡したのだから、
よほどバカげた要求だったのだろう。
昔の日本人は、「たとえ自分の命が失われても魂だけは汚さない」
という考え方をしたという。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2636.html
それは輪廻転生の考え方がベースにあって、
この身は滅びても魂は永続し、やがては生まれ変わるから、
その魂だけは決して汚さないという信念を
持って生きたようだ。
だから、戦時中の兵隊さんたちは、海外で餓えた状態でも、
決して泥棒や強盗をしなかったという。
たとえ目の前に畑があり、実がなっていても、
それを黙って取って食べるということを
しなかったというのだ。
そうした崇高な精神を持った人々と同時代を生きた老人たちが、
少しでも公金をむしり取ろうと血道を上げているのを見ると、
戦後日本人の堕落はここまできたか、
と暗澹たる気分になります。
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