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2017年4月23日 (日)

言葉狩りは永遠に

欧米では「ポリティカルコレクトネス」などと言って、
「差別的なものは許さない」という空気が蔓延している。

日本でもテレビを中心に長らく言葉狩りが続けられ
「めくら」「つんぼ」「おし」など肉体的欠陥を表わす単語が
ことごとく使えなくなった。

「片手落ち」など差別意識など露程も感じない言葉まで
不適切とされ、不自由なことこの上ない。

最近では「子供」もだめで「子ども」、
「障害者」もだめで「障がい者」と表記するらしい。

「子供」の『供』は、「お供」の『供』のように
付属物みたいだからいけないのだという。

「障害者」は何となく想像がつくが、
「片輪者」が「障害者」になり、さらに「障がい者」に
なったところで、何だというのだろう。

「百姓」という言葉だって「このどん百姓」と言えば差別的だが、
「お百姓さん」と呼べばまったく違和感はない。

「障がい者」だって、「障がい者のくせに」と言えば
問題が生じるだろう。

要は言い方とか、使う側の気持ちの問題なのだ。

言葉狩りをはじめとするポリティカルコレクトネスは
先人が築いた文化を破壊していく。

詳しくは知らないが、
欧米では西部劇や黒人奴隷を扱った映画やドラマは、
放映できなくなっているのではないか?

そうした映画やドラマを禁止しても、
白人が犯した差別や虐殺が消えるわけでは無い。

むしろそうした文化を残すことで、
過去の過ちや先人の意識の有り様を知ることができるだけ
有益と言えるのではないだろうか。

これは加瀬英明先生が番組で仰っていたことだが、
江戸時代の日本は盲人にのみ高利貸しが
許されていたのだという。

体の不自由な方が生きやすい世の中を作ることこそが
大切であることを私たちの先人は知っていたのだ。

古来より日本ほど差別のない、
公平な社会はなかった。

言葉狩りをする人は、
弱い立場の人を守るのではなく、
日本の文化を破壊しようとしているように
思えてならない。


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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

言葉狩りでは、障害のある人たちを救えません。五体満足な人の自己満足であるか、日本の足を引っ張るのが目的です。日本の状況を問題視しいながら、お隣り特あの人権無視や弱者虐待はまったく気にしないのだから、底が知れています。

欧米の映画で、LGBTが主人公のものがあります。あるいは自閉症などの子供が重要な場面で社会の危機を救おうとする主人公を助けたりするのです。これもコレクトネスを強く意識した観客向けなのかなと思います。

LGBTや身体に障害のある人に、同情を禁じ得ませんし、サポートも必要ですが、優遇は行き過ぎですね。

コメントありがとうございます。現在の日本は「偽装弱者」が絶対的な権力を持ち、本物の弱者は見捨てられます。「偽装弱者」への異議申し立ては、ヘイトスピーチになります。

ポリティカルコレクトネスは逆差別と文化破壊の最たるものだと思います。

言葉だけでなく、システムや法と言った実体社会への具体的な影響は計り知れない程に大きくなっていきます。

確かに民族や人種、宗教や政治的・社会的弱者の救済はするべきだしその為の方策としてアファーマティブアクションという形で謂わば逆差別的な優遇措置による待遇改善策は必要だと思うし効果があるとも思っていますが、何事も過ぎたれば及ばざるが如しでやり過ぎは良くないです。

そもそも日本語のみならず世界中の言語の多くはある意味で差別に満ち満ちています。
それは性差に始まり広い意味での社会的立場等によって言い方が違ったりと非常に多岐に渡ります。
その言葉自体差別を目的とした言葉でなくても差別的だとの意見で簡単に換えられてしまっています。
これは欧米ではかなり深刻で、差別に当たるから換えるべきとされる言葉そのものが元々表現として存在しない言葉になってしまう為、換えた言葉が遠回しな表現になったりパッと聞いただけでは何の事だか分からない様な言葉になったりと、混乱する等の相当困った状況になっているらしいです。

本場の欧米社会がそんな状況だからか、日本に於いてさえ様々な言葉が言い換えられ、旧態然とした言葉の数々は、今や口にするだけで冷ややかな視線を浴びる様になりました。

こうした状況を見ていると、マスコミを始め教育機関や法曹界、財界等の様々な業界や団体の思惑や意図と言ったものが見え隠れすると思います。
具体的な事を一言で言えば遠大な計画の下に行われている洗脳です。
これはリバタリアン・パターナリズムという手法によって行われているので非常に分かり難く、また裏取りや物質的な証拠と言ったものが存在しないか存在しても暴くのが至難の業になってしまいます。

こうした様々な業界や団体からの日常的、恒常的な洗脳によって、人々はまるで自身が考え決めたと錯覚してとんでもない方向に向かってしまう事は過去の例を見ても明らかだと思います。

特亜関連の日本の対応1つを取ってみても、如何に日本が毒されているかを知る事が出来るでしょう。
いい加減目を覚まさなければいけない段階に来ていると思います。

そう言えばポリティカルコレクトネスで思い出しましたが、オランダでも国民を分断する様な論争が起きています。
ブラック・ピーターという200~300年以上も続く祭りがあるのですが、これは聖ニコラス(サンタクロース)のお供として船から下船した黒人の仮装をした人達が街を練り歩きながらお菓子を配ったりするというものです。
黒人の仮装ですから当然黒塗りにしてピエロの様な派手な格好をし、おどけた調子で軽い悪戯をしたりするという感じのキャラクターで、祭りの時はこのブラック・ピーターのキャラクターやブラック・ピーターに因んだお菓子やグッズが売り出されます。

この祭りが黒人差別だとして人権団体を始め様々な人達が反対し、今や違う形で祭りをしたり祭り自体を取り止めたりと大きな問題になっています。
確かにそういう側面はあるのでしょうし、そうした見方も出来るとは思いますが、趣旨としては人権差別を目的とした祭りでもないし、寧ろこの祭りが大好きで黒人に対して親しみを感じて育った人も多いと思います。
また、何事も功罪の両面があるので、一概に悪と決めつけて糾弾し追放するやり方は絶対に間違っていると思います。

何故ならこんな事をしても欧米社会がアフリカやアジア、南米等の世界各地を植民地にした事実も、黒人を始めとした有色人権を奴隷にした歴史も変わる事無く存在し続け、決して塗り潰される事もありません。
鯨の問題にしてもそうですが、過去に自分達が何をしたかを忘れて他人の事を責める姿は本当に滑稽です。
それで倫理や正義を幾ら叫んだ所で何一つ説得力はありません。

そして間違っているから言って全てを拒絶し追放し存在を消し去る事は、別の意味での差別だと思います。

文化や伝統を破壊し、そのままにする場合もあれば訳の分からない変なものに変えたりと迷走を続けていれば、やがて国力も落ちて文化のレベルや民度も低下していくでしょう。

それはお隣の自称先進国の迷走を見ても明らかだと思います。
尤も、あちらの場合はポリティカルコレクトネスなんていう高尚なものではなくて、太古から続く易姓革命の影響で反対の為の反対であり、元々の民度が露呈しただけと言われれば反論の余地がありませんが…。

ともあれ、そうした勢力下の人間が主導するポリティカルコレクトネスは非常に危険で注意する必要があると思います。


(前コメント切れる直前から)

尤も、あちらの場合はポリティカルコレクトネスなんていう高尚なものではなくて、太古から続く易姓革命の影響で反対の為の反対であり、元々の民度が露呈しただけと言われれば反論の余地がありませんが…。

ともあれ、そうした勢力下の人間が主導するポリティカルコレクトネスは非常に危険で注意する必要があると思います。


コメントありがとうございます。日本の文化・伝統は守らなければなりません。そして、国家は他国の文化・伝統に口を出すべきではないし、移民は、その国の文化・伝統を尊重しなければならないと思います。

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