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2017年11月10日 (金)

死者に対する礼節

具体的な事例についての話ではないが、
僕は遺体損壊事件の大多数は、
日本人の犯行ではないと思っている。

この場合の日本人とは、
日本国籍を持つものという意味ではなく、
まあザックリとした言い方になるが
日本民族という意味である。

日本民族とは何かという問題は厄介なので
ここでは立ち入らない。

人の死体のことを「ご遺体」と言うように、
日本人は死者に対する礼節を持つ。

航空機事故で遺体が散乱した場合などでも、
遺体の一部が誰のものか
日本では徹底的に調べるらしい。

こうしたことは諸外国には見られない
日本独特のことのようだ。

そんな日本人が遺体を切りきざむ姿を
僕にはイメージできないのである。

日本人は確かに変わってしまった。

しかしDNAに刻まれた変わらないものも、
また、あると思うのだ。

真偽のほどは判らないが、
日本で起こった残虐事件の大多数が
外国人の犯罪であることを
詳しくまとめているサイトもある。

●本当は「日本人の犯罪」じゃない犯罪
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/68.html

しかし、こうしたことは全くと言っていいほど
マスメディアは報道しない。

ルーシー・ブラックマンさん事件の犯人、
織原城二の生い立ちについては、
英国紙が詳述しているというし、
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件についても、
イギリス国内では犯人の一橋達也が、
朝鮮系日本人だと報道されているという。

「猟奇的」と形容される事件については、
僕は反射的に日本人の犯罪ではないと考える。

証拠を示せと言われても
答えられない。

ただそう感じるのだ。


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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

シナや朝鮮では、生命に対する感覚が日本人とはまったく異なると思います。
記事の指摘の他にも、「死者に鞭打つ」は日本ではたとえですが、彼の国々では「実例」なのです。恨む者やその親族の墓を暴いて八つ裂き(これもあちらでは実行動)にしたり、むち打ちます。

そして、戦中の「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、あたかも「死ぬまで戦え」という意味で定着していますが、これもサヨクの偏向したプロパガンダです。

あれらの国での「囚」は、国際ルールも人権も武士道の欠片もない、動物と同じ扱いをされるという意味で人としての尊厳などすべて奪い去ります。
ころすにも、首ではなく腰を生きながら斬る、じわじわ皮を切り刻む「凌遅刑」などは写真も残ってますね。
肉体的な苦痛だけでなく、精神的苦痛を最大限に味わわせる残酷さは、殺してくれと懇願したくなるほどの「辱め」です。

こうした発想や実行力は、日本人にはとうてい及びもつかない異次元のもので、民族の違いだけでなく、長い歴史で染みついた精神的DNAの違いがあるとしか思えません。
日本人ならぜったいにできないだろうな、と思わせるものが確かにあります。

NHKはHPで、次回のクローズアッブ現代+の予告をしています。
『 2017年11月13日(月)放送
突然あなたも被害者に!? “ネットリンチ”の恐怖』

しかし、テレビから表示されるテレビ番組表では、未だに、放送内容や出演者の情報は記述されておらず、NHKは視聴者に対する、背信行為を行っていますよ。

コメントありがとうございます。「生きて虜囚の辱を受けず」という言葉は、日清戦争中に第一軍司令官であった山縣有朋が清国軍の捕虜の扱いの残虐さを問題にし、「捕虜となるくらいなら死ぬべきだ」という趣旨の訓令を出したのが原型とか。実際に通州事件とか、終戦時の南樺太でのソ連軍による鬼畜の残虐行為とか、生き地獄にさらされた多くの日本人がいたことを忘れてはいけません。

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