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2019年5月 2日 (木)

銀座で天皇制反対デモ

 

『東京・銀座では1日夕、天皇制に反対する市民らが
新天皇即位に合わせてデモを行い、雨が降る中、
「祝いを強制するな」などと声を上げた。
抗議に来た右翼活動家が、警備する警視庁の機動隊員に
制止される場面もあったが、大きな混乱はなかった。
デモには主催者発表で約500人が参加。
西東京市の男子大学院生(28)は、「新しい時代が来たと
自分の家族も含めてみんな喜んでいるが、
そういうムードに乗りたくなかった。
おかしいと思う人もいると示したかった」と話した。』
(JIJI.COM 2019年05月01日19時59分)
https://www.jiji.com/sp/article?k=2019050100699&g=soc

デモ隊が掲げるプラカードには、
「終わりにしよう天皇制!」とか、
「関西地区生コンへの大弾圧を許さない」
などの文字も見える。

天皇は日本の象徴として憲法に規定されているが、
その存在は憲法を超えるもので、言い方を替えれば
「天皇のいる国こそが日本」なのだ。

だから、「終わりにしよう天皇制!」という言葉は、
「終わりにしよう日本!」とも読める。

言論の自由というが、
それはどこまで許されるものなのだろう。

「日本をつぶしてしまえ!」という言論が、
この日本で許されていいものなのか?

「抗議に来た右翼活動家が、警備する警視庁の機動隊員に
制止される場面もあった」と記事にはあるが、
日本国民の抗議は当然で、僕はこんなことを自由に
やらせている方がおかしいと思う。

 

「お前の話はもっともだ」と思われた方は、
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コメント

天皇は二千年以上の歴史がある日本人とともに歩んできました。記録として正式に成立する前から、その萌芽というか精神的、社会的な土壌があったわけで、年数では数えられないほど、日本人と不即不離の存在です。
それを、たかだか数十年の移住者や思想偏向者によって、とやかく言われたくありません。その資格を与えることもおかしいですね。

>「関西地区生コンへの大弾圧を許さない」
 デモ隊がどういう人たちか、わかりますね。
 別の話題ですけど、沖縄の米軍基地騒動にしてもデモや座り込みをやる集団の中に、労組や外国人が混じっています。
 自由すぎます。これは、言論の自由を通り越して破壊行為、侵略行為です。
 法的に対処できないはずはないと思うのですけどね。

おっしゃる通りですね。法の不備を直すことも必要ですが、日本では法が厳格に執行されていない感じがします。オウム事件に適用されなかった破防法など何のためにあるのかわかりません。

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