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2019年9月29日 (日)

天皇の写真を燃やす行為は祈り?

『いや燃やすという行為は、祈りなんです。
神社で自分の願いを書いたお札を燃やすのも祈り。
神に自分を近づける行為は痛みを伴う喜びとされている。
東洋哲学の天空逍遥の一形態なんです。』
(上山信一氏ツイッターより)
https://twitter.com/ShinichiUeyama/status/1174326701230182400

神社で自分の願いを書いたお札を燃やすのと、
天皇陛下の写真を燃やして踏みつけるのと、
同じ祈りであるとはとても思えない。

燃やす行為がすべて祈りなら、
放火犯は随分信心深い人
ということになるだろう。

できれば、
燃やした灰を踏みつける行為についても
説明してもらいたいものだ。

(上山信一:慶應大学総合政策学部教授。専門は企業戦略、行政改革。旧運輸省、マッキンゼー等を経て現職。これまで世界117ヶ国を訪問。大阪・豊中市出身。大阪府市特別顧問、東京都顧問、愛知県政策顧問、等を歴任。)

 

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